ためになる交渉の技(わざ)(1)―どのように譲歩するか―

2018年の夏、私が若手弁護士を対象に行った講演「交渉スキルをみがこう」の一部を切り取って紹介しながら、交渉の技について考えていきたい。

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 交渉において譲歩の技術は重要です。この技術は奥が深い。見返りのない譲歩はするなという鉄則があります。見返りは目に見えるものとは限らない。目には見えない見返りもある。しかし見返りを求めても見返りを得られないこともある。見返りを求めないと言いつつ譲歩することもある。だが目には見えないが、実は、大きな見返りを手にしているということもある。そして相手はそのことに気付かない。といった具合です。
 さて、私の経験を話します。これから述べるストーリーは、もちろん依頼企業の了解を得ています。そしてここで使われている技術は譲歩幅と時間を組み合わせたものです。
 東京に小さな開発会社があった。社長は若く、その会社は5社の銀行団から融資を受け、東京都心に土地を買い建物を建てて売るというビジネス・モデルをつくった。これを回しながら、自分もハッピー、銀行団もハッピーというビジネスを展開していた。開発会社は、銀座七丁目に土地を買い、ビルを建てることになった。請け負ったのが、福井に本社のある建設会社で、請負代金は10数億円としましょうか。この会社は年商数百億円、北陸、東京、大阪、名古屋に支社・支店を持っていた。私はそこの顧問弁護士。こういう前提で話を進めます。
 今から10年前の話です。リーマン・ショックが起こり、銀行団が開発会社に金を出さなくなりました。建設会社に請負残代金6億円が入らないらしいという情報が入り、建設会社の役員が私のところに飛んできた。私が「建物の出来具合いはどうか」と聞くと、「90パーセント」だと言う。私は「急いで完成させよ。建物を占拠して誰も入れるな。商事留置権の行使だ」と告げ、それを実行させる。それから、銀行団との交渉です。留置権をはずしてくれと銀行団。残代金を払ってくれと建設会社。スリリングな交渉でしたが、これは飛ばします。
 銀行団は、ついに開発会社に対する50億円の貸金を不良債権として担保もろとも留置建物もろとも外資に売ってしまった。外資との交渉が始まりました。交渉は、建設会社の常務が担当し、私が指導する。建設会社の私への要望は、6億円のうち6000万円カットまでが譲歩のリミット。できれば4000万円カットで収めたい。私は努力を約束した。外資から呼び出しがある。外資の要求は、「6億円から2億円をカットせよ。4億円を支払うから、留置権を解除して建物を引き渡せ」というものでした。
 1回目の交渉です。「回答はゼロ円。そして、『我が社は小さい会社で、リーマン・ショックでふらふらだ。いつ倒産するかもわからない』と泣きに泣いてこい」と指示。常務はこれを実行し外資は激高する。2回目の交渉になりました。「2回目には2000万円のカットならオーケーという提案をしよう」と私は言い、常務はそのとおり外資に告げる。もちろん外資は激高。3回目の交渉となります。会社首脳との事前協議が行われました。
 会社側はこう言います。
 「もう3回目だから交渉の山場だ。すでに2000万円の譲歩はしており、これに2000万円をプラスする提案をしたい。4000万円の譲歩で早く終わりたい」
 私は言います。「ダメだ。その方法はまずい」
 「どうしてですか」と会社側。
 私はダメな理由を告げる。「外資との交渉を最初から検証してみようではないか。最初は0円からスタートした。外資は激高。2回目の交渉で2000万円の譲歩。やはり外資は激高。そして3回目の交渉だ。そこで更に2000万円の譲歩をする。これがまずいのだ」
 「・・・・・」と会社側。
 わたしは続ける。
 「外資は考える。第1回交渉で激高してみせたら、第2回交渉で2000万円の譲歩をしてきた。それに対して激高。その結果、第3回交渉でまた2000万円の譲歩。またまた激高してみせれば、更に2000万円の譲歩が見込めるぞ。そして、激高。これでは交渉は終わらない」。「では、どうしたらよいのですか」と会社側。
 わたしは常務にむかって言う。
 「3回目の交渉は、2回目で提案した2000万円の半分、1000万円の追加譲歩を提案する。やはり外資は激高する。が、今度は休憩に入る。外資の事務所に休憩室はあるかね(「ない」と常務)。では廊下会談だな。常務、貴方は廊下に出てうろうろする。タバコを吸いながらでいい。そうすると外資の交渉担当者も廊下に出てきて、あなたとの本音会談が始まる。外資は必ずこう言う。『本音の話を聞かせてよ。もう少しなんとかならないのかね』。あなたは答える。『ええ、わたしもそう思っていて、社長を説得中です。あと500万円なんとかできないのかと』。それだけ言って帰ってくる」。常務はむずかしい顔をして東京に出掛けました。3回目の交渉は予想どおりの展開となる。常務は私の言うとおり行動した。廊下の本音会談は実際に行われた。しかし、常務は500万円の話をするのを忘れてきた。
 3回目の交渉が終ったあと、私は次の指示をしました。「外資から電話が入ってくる。そのときは、『社長にあと500万円の説得をしているが、社長からはまだ返事がない』と答える。外資から電話が何度かかっても、その話を繰り返しなさい。そうしたら外資が折れてくる。その可能性に賭けよう」。
 何回目かの電話の後に、外資は、「4000万円で手を打ってくれ」という連絡をしてきたのです。成功です。東京で、開発会社と外資と建設会社で合意書をつくり5億6000万が送金になりました。常務は、ビルの鍵をジャラジャラいわせて外資に運び、一件落着です(以下、このケースを銀座七丁目事件と呼ぶことにします)。
 もうお分かりだと思います。譲歩はだんだんと譲歩幅を狭めてぎりぎりまで絞る。この方法によって「あゝ、この会社の限界はこのあたりか」と相手方に思わせる。
 いわば心理戦だ。この方法を更に効果あらしめるのが、時間との組み合わせです。
 交渉と交渉の間の時間を延ばしていく。すなわち回答に時間をかける。2回目と3回目の間の時間は、1回目と2回目の時間より長くとる。3回目と4回目の間の時間は2回目と3回目の時間より長くとる。私がこの建設会社に伝えた交渉方法はまさにこれだったのです。

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 しかし、この交渉には、もう1つ大きな戦略的要素が隠されてた。
 話は少し逸れるが、全米弁護士協会(American Bar Association)が若手弁護士むけに『弁護士のための交渉入門』(The Lawyer’s Guide to Negotiation:Second Edition:未邦訳)を出している。その第2章でこんなことが書いてある。
 「2つの交渉が同じであることは絶対にありえない。環境、パーソナリティ、そして相互の駆け引き上のパワー、これらは新しい状況のもとで変化する。その 結果、相手方の行動に影響を及ぼすための手段は、こういう変化に対応して個別に変えていくことになる。だが、如何なる状況下にあっても、あなたの駆け引き力を最大化する4つの基本的なテコが存在する。そのテコは、1.不確実、2.時間、3.機会、4.制裁の4つである」
 そして、時間のテコについて、こう書き綴っている。銀座七丁目事件の譲歩に引き当てて読んでもらいたい。
 「時間は見ることも聞くことも、感じることもできない。時間は日ごと誰にも等しく分配され、そして正確に同率づつ消えていく。し かし、いつもそうだとは限らない。ある状況では、時間は止まり、あるとき時間は突進する。この矛盾した現象は、時間そのものに由来するというよりは、われわれの時間に対する知覚のせいなのだ。このやっかいな時間の変形を理解し認識する交渉者が、時計を敵とせずに味方とする交渉ポジションを得ることができる。もし、不確実性が最も強力なテコとするなら、時間は明らかに最も巧妙なテコであると言うことができる。時間というテコを理解する最初のポイントは、時間とは現状を変えるすごいものだと認識することだ」
 「カネ、マンパワー、専門知識と共に、それぞれの交渉者は時間を交渉テーブルに持ち込むが同量だと言うことはめったにない。交渉する当事者が互いに砂金の入った同じサイズの砂時計を持ち込んだと想像してほしい。交渉を始めるときに、交渉者は互いに砂時計をひっくり返す。砂時計の中の砂金の量によって、互いの交渉結果に対するデッドラインがセットされる。砂金が減っていく、プレッシャーが増える。多くの例では、時間を最も多く持つ交渉者が勝利を納める。その結果、誰がどれだけ砂金をもつかが、きわめて重要となる。頭のいい交渉者は、自分がもつデッドラインを決して明かさず、一方で常に交渉相手側のエンド・ポイントを見つけようと探る、その理由がここにある。もし、あなたの交渉相手がデッドラインを割り込んでいるとしよう、それを利用することが最も重要だ。デッドラインが限界に近づくとき、誰もが経験していることだが、行動に向けてものすごいプレッシャーがかかる。ハーブ・コーエンは『交渉できないものはない』(You can negotiate anything)という自著の中で、交渉における時間の効果として「デッドラインで譲歩は行われる」ことについて
言及している。レッスンは簡単だ。交渉テーブルに砂金を多く持ち込む、相手にあなたの砂時計を覗かせない。もちろんお気づきのように、こんなことはできることではないが、あなたは時間的な有利さを手に入れるよう努力しなければならない。そして、それはあなた自身の能力に、大いに依存しているのだ」(ハーブコーエンがこの強気なタイトルで本を出したのが1980年、“Getting to Yes”すなわち「ハーバード流交渉術」が世に出る1年前であった。バカ売れしたのである。全米で140万部を突破したのである。日本でもいくつもの翻訳が出て今も売れている。彼は学者ではない。実務家で何十年も交渉をやってきている。当時、セミナーを開いたり、講演をしたり、ハーバード大学やミシガン大学、FBIアカデミーなどでも教えている。私は初版本を持っているが、40年たっていまやボロボロ。副題も強気だ。「世界最高の交渉者が欲しいものを手に入れる方法を教える」とある。彼は、交渉は①情報 ②時間 ③力で動くと言う)。
 さて、話を銀座七丁目事件に戻そう。建設会社と外資が交渉テーブルに砂時計を持ち込んだとしよう。その中の砂時計の砂金の量はどうだったのかを考えてみたい。建設会社は建物を占拠する。請負残代金を払うまでは占拠を解かない。これは債権者に与えられた緊急時のいわば暴力的な債権保全の権利、すなわち商事留置権の行使によるものだ。この権利行使の特徴は、ひたすら待つということにある。時間に
リミットはない。だが、待つことは辛い。1年、2年、いや、3年、4年も待つだけの覚悟が必要だ。その覚悟を見せることが交渉のカギとなる。建設会社の砂時計には相当量の砂金が埋まっている、と思わせる。
 一方、外資はどうか。外資の前に銀行団との交渉があった。銀行団はカネを出さずに留置権を解かせることを考えた。こんなことを言い出す。「建物を使って賃貸業をしたらどうか。そのときテナントから入る敷金を請負残代金債務の弁済に当てるという方法もある」。建設会社はふらりとする。これは罠だ。敷金は預かり金だ。請負残代金の支払いに当てられない。私は建設会社の取締役会に飛び込み、罠に落
ちるなと注意する。
 銀行団は銀座七丁目の土地・建物の買手を探した。それが見付かってから建設会社との具体的な交渉に入ろうとした。だが、買手は見つからない。行き詰まる。わたしのところへも幹事銀行の担当者がやってきた。罠はいけないと注意。そして請負残代金を開発会社に払わせるので減額してほしいというのなら、交渉は可能であり留置権の解除もありではないかと提案したが、幹事銀行の担当者はむずかしいと
言って帰っていった。銀行団は内輪で、この小さな開発会社に対する不良債権の処置をめぐって対立していた。突然、銀行団は外資にこの不良債権を売り払った。多分、砂時計の砂金は尽きたのである。さて、外資はどうか。交渉態度は強圧的だが、銀行団とは違い、この留置権をはずすことを優先したようだった。彼らは安く買った不良債権を転売して利益を出す。そのためには売れる不良債権にしなければなら
ない。建設会社との交渉を優先して早くまとめる。売りものは生(なま)ものだ。そこで外資はデッドラインを設定する。外資の砂時計の中の砂金の量にリミットがあつた。建設会社の砂時計の砂金は外資の砂金の量を超えている。建設会社は待ちの姿勢を貫く。
 実は待ちを貫くのもむずかしい。建設会社もふらつくのである。東京本社の弁護士が待ち切れずに、売買物件を建設会社の所有にしようと動く。所有した場合の悲惨な結末を知らないようだ。わたしは止める。そして、あくまでも待たせる。建設会社は苦しみながら待ちに待った。その結果として銀座七丁目事件の成功はある。わたしは交渉テーブルの上にある2つの砂時計の砂金の量とその減り具合を見つめ
続けていた。つまり時間というものを大きなテコとして使ったのである。交渉の技がここにある。

(弁護士 小山 齊)